藤井聡太棋聖の言葉
藤井聡太氏が「棋聖」という将棋タイトルを獲得しました。17歳11か月でタイトルを獲得し、これは1990年に屋敷伸之九段が作った18歳6ヵ月を上回る最年少記録とのことです。
まだ高校生なのに、将棋タイトルの一つを獲得するのは信じられないような気がします。
今回は、藤井聡太棋聖がタイトルを取ったあとのインタビューを見て、気が付いたことを書きたいと思います。
藤井聡太棋聖の印象に残った言葉
本記事の内容
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- この記事は、中小企業診断士のKAZUTOYOが書いています。
- KAZUTOYOは中小企業診断士になる前、家電量販店店員(パソコン売り場も担当)として10年以上働いた経験があります。
- パソコン売り場にいたこともあり、IT関連の知識も多少あります。
- 中小企業診断士としての活動歴も10年以上です。
「まだまだわからないことが多い」
- 棋聖タイトルをとっても足りないものがある
藤井聡太氏は棋聖タイトルをとっても「将棋はむずかしいゲーム。まだまだわからないことが多い」と言っています。
最高峰の実力がありながら、「まだわからないことが多い」と言っているのは将棋の奥深さを感じさせます。また強くなればなるほど難しいことがわかってくるのかもしれません。
比較できる話ではないですが、KAZUTOYOも中小企業診断士の勉強を始めるときには、中小企業診断士というのは経営のことが十分にわかっているのだろう、と思っていました。
でも実際に自分がなってみると、わかっていないことが山ほどあると感じます。まだまだだと感じます。
どんな職業もそうだと思いますが、いつまでも向上する気持ちを失わないことが大切だと感じます。
「探求」
- 「探求」と書いた色紙
藤井聡太棋聖は会見で「探求」と書いた色紙を掲げていました。
これからも将棋への「探求」を継続していこうという気持ちを表しているのだと思います。
おだやかな表情ながら、その言葉から芯の強さを感じさせます。
彼は、タイトルをとっても実に謙虚な印象です。一つのタイトルを取ったのだから自分に対して自信もあるとは思うのですが、そのような表情はあまり見せません。
KAZUTOYOがもし同じ立場だったら、もっと偉そうな態度をとっていたと思います。だってまだ17歳なのです。若者にありがちな「どうだ、凄いだろう」というような少しおごった態度をとっていたかもしれません。
あの年齢で、そんな様子や表情をいっさい見せないのは、人間ができていると感じます。
というか、そんな気持ちはもともとないのでしょう。
巨人はロッテ(当時パリーグ最弱)より弱い発言
思い出したことがあります。
はるか昔、近鉄と巨人が対戦した1989年の日本シリーズで、近鉄の加藤という投手が勝利投手となり、近鉄は3連勝で日本一に王手をかけたときのことです。
試合後のヒーローインタビューで加藤投手は「巨人打線に打たれる気はしなかった。たいしたことなかった。パリーグのほうが相手も強い」と相手を見下したような発言をしたのです。
その発言で巨人が奮起し、結局日本シリーズは巨人が逆転優勝したのです。
何が言いたいのかというと、やはり若者が自信満々の時、気分が高揚しているときは加藤投手のような発言をしてもおかしくはないのです。
まして、藤井聡太棋聖は17歳で、このときの加藤投手より全然若いのです。
でも藤井聡太棋聖は、にこにこしていて、そんな発言・態度は一切見られませんでした。
藤井聡太棋聖を見ていて、なぜか1989年の日本シリーズのことがふと思いだされました。藤井聡太棋聖の精神性の高さを感じたのです。
年齢は関係ない
- 若くて凄い人が世の中には多くなっている
今の世の中には、若くて凄い人はいっぱいいます。
ユーチューブ動画などを見ていてもそう感じます。
また凄い人は精神性も高い人が多いと感じます。まさしく藤井聡太棋聖のような人です。
それとは反対に、高齢の人でもまわりのことを考えない子供のようなわがままな人はいるものです。
よく年齢を重ねるにしたがって人間が丸くなり、穏やかになっていくという話は聞きますが、そうでない人は多くいます。
精神性の高さは年齢と比例しないのです。
人間は個体ごとにかなり差があり、年齢は関係ないのではと思うようになってきました。
そして個体ごとの差は、時代とともに大きくなっていっているような気がします。
(以上、変な中小企業診断士の妄想でした。)
まとめ
藤井聡太棋聖の印象に残った言葉
棋聖タイトルをとっても足りないものがある
将棋への「探求」を継続していこうという気持ち
若くて凄い人が世の中には多くなっている |