45歳で退職し、夢をかなえた日本人の話
先日、NHKの逆転人生という番組で、ハリウッドで夢を実現した日本人のことを放送していました。
今回は、その話です。
最初から見ていたわけではなく、途中から録画を開始して、あとで見直してこれを書いているので、最初の部分についてはわかりません。
ウィキペディアを見たら、その人について書かれたページもあったので、それも参考にしています。
この記事を読むと、このような逆転人生も実際にあるとわかります。
人間、歳は関係ないのです。
Contents
45歳で証券会社退職、ハリウッドで夢をかなえた日本人
記事の内容
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この記事は中小企業診断士のKAZUTOYOがNHK「逆転人生」で見た内容やウィキペディアの記事を参考に書いています。
45歳で証券会社退職、ハリウッドで夢をかなえた日本人とは
- 1963年生まれの成田さん
45歳で証券会社退職、ハリウッドで夢をかなえた日本人は1963年生まれの成田昌隆さんです。
ハリウッド映画のCGで活躍されている方です。
「アイアンマン」や最近の「スターウォーズ」などを手掛けています。
彼の経歴を簡単に紹介します。
成田昌隆さんの経歴
- 1963年生まれ
- 1985年 名古屋大学工学部電気学科を卒業後NECに入社
- 1988年 日興証券に転職
- 1993年 アメリカのシリコンバレーに転勤
- 2005年 ニューヨーク支所所長に就任
- 2008年 日興証券を退職
- 2009年 メジャー映画作品を手掛けるCG会社に入る
- 2013年 インダストリアル・ライト&マジック(Industrial Light & Magic)に入る
ざっくり書くと以上のような経歴です。
無職の期間は2008年から2009年にかけてのたった1年です。これだけ見ると挫折がないように思えますがやはり道のりは大変だったようです。
きっかけは何だったのか?
- 「トイ・ストーリー」を見たこと
ハリウッド映画の、「トイ・ストーリー」を見たことがきっかけになっているようです。
日本人が映画製作に関わっていることを知って、刺激を受けたとのことです。
成田氏は、もともとIT関連は専門分野であったため、知識と技術があり、CGの分野なら自分でもできるのではないかと考えたのです。
証券会社の社員としてアメリカで働きつつ、独学でCGを勉強し、ハリウッドのスタジオに自分の作品をせっせと送り続ける日々がしばらく続いたようです。
そんなかで、同じようにCGの分野で夢をかなえようとする日本人と出会うことになります。
彼の名は、原島朋幸さん。夢をかなえに日本のゲーム会社を辞めて勝負をしにきている人でした。
原島さんは、その後スピルバーグが設立したドリームワークスという会社に入ることになります。原島さんは夢を実現したのです。
夢をあきらめ、挫折もあった
- 一時は夢をあきらめた
独学でCGの勉強をし、スタジオに作品を送り続けていましたが、良い返事がないまま時が経っていきました。
2000年頃に、父親の急逝や娘の誕生があり、これ以上家族に迷惑をかけられないと、ついに夢をあきらめることになります。
成田さんには息子がいましたが、ずっと遊んでやれなかったのでこの頃から息子との時間をプラモづくりでいっしょに過ごすようにことが多くなっていきます。
しかし、成田氏は元来のめり込みやすい性格で、プラモづくりにものめり込んでいくようになります。プラモ作りはいかにリアルに本物っぽく見せるのが重要で、成田氏は戦闘機のプラモ作りのために航空博物館にまで足を運んで研究するほどの凝り性だったのです。
その結果プラモのコンテストで全米優勝するまでの力を身に着けることができました。
この経験も、映画のCG作成に今後生かされることになるのです。
再チャレンジ
- 原島朋幸さんからのメールが再チャレンジのきっかけ
そんな日々を過ごしていると、ある日前に書いた原島さんからメールが届きます。
原島さんがスピルバーグの設立したドリームワークスという会社に入ったという連絡です。
あれから、7年が経っていました。原島さんは7年かけて夢を実現したのです。
成田さんは、この時43歳、証券会社の役職はニューヨーク支所所長でした。
このメールを読んで成田さんは「自分はいったい何をしているのだろう。今の人生は自分らしい生き方ではない。」とまた奮起することになります。
退職を決断し家を購入
- 45歳で退職
成田さんは、自分らしい生き方をすることを決意します。ついに証券会社を辞めることにしたのです。
息子にも自分の正直な気持ちを素直に話して協力を求めました。
成田さんは息子に「自分の人生に失敗していることに気がついた。この年になって初めて自分がやりたいことに気がついた。だから、一生懸命自分の人生をやり直したいと思っている。協力して欲しい」、と語りました。
当時の住居は社宅で、会社を辞めるとでていかないといけません。ですので、ハリウッドのそばに住居を購入する決断をします。会社を辞めるとローンを組めないので辞める前に購入したのです。
最初家族は反対したようですが、その後は成田さんの思いをわかってくれたようです。
奥さんも成田さんの作品をハリウッド中のスタジオに送ってくれるなど、協力してくれました。
ただ、猶予はありません。無職なので、限度は2年です。
考え方の変化
- CGの学校に通って本格的に学ぶ
それまでは、独学でCGを勉強していた成田さんでしたが、本格的に学ぼうとハリウッドのCGスクルールに通うことになります。
CGはCGっぽくなく、いかにリアルに再現するかが大切なのですが、その技術を学んでいったのです。
腕前もかなり向上したのですが、それでもハリウッドが求めるレベルには達することができないままでいました。
そんな時に、ドリームワークスでアートディレクターとして働いていた経験を持つ、ある日本人女性の意見を聞く機会を得ます。彼女の意見はかなり厳しいものでした。
「この作品で、誰が感銘するの? いらない。」
と言われたのです。
成田さんのそれまでの作品は、学校の課題で求められるような作品だったのです。
CGには、リアルさも大切で欠かせないのですが、感銘や驚きといったものも必要だったのです。
成田さんはそのことに気が付きました。
仁王像のCGで勝負
- 奈良の仁王像を見て決めた
そんなとき、成田さんは奈良東大寺の仁王像を見て、その圧倒的な迫力に感銘を受けます。
この仁王像をCG作品にして、勝負をかけることにしたのです。
そして3万個ものポリゴンを丁寧に作って組み合わせてCG版の仁王像を作ったのです。
写真かと見間違えるほど、リアルでかつ圧倒的な迫力があるCGの仁王像が完成します。
この作品がきっかけで、2009年、成田さんが46歳の時、メジャー作品を手掛けるCGスタジオに就職が決まったのです。
それが始まりで、その後成田さんは多くの有名な映画作品に制作参加することになったのです。
インダストリアル・ライト&マジック(Industrial Light & Magic)に入る
- ジョージ・ルーカスの設立した会社に入る
2013年に、成田さんはインダストリアル・ライト&マジック社(Industrial Light & Magic)に入ることになります。
インダストリアル・ライト&マジック社はジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」を作るために作った会社です。
ILM(アイエルエム)もしくはI.L.M.と略されて呼ばれることもあります。
成田さんは、ついに最高峰にたどりついたのです。
そして、「スター・ウォーズ」で重要な「スター・デストロイヤー」の制作を任されることになります。
脱サラから7年、52歳でそこまで到達したのです。
テレビで成田さんは「何をするにも遅すぎることはない」と言っています。
現在の成田氏
- 毎日が楽しい日々
成田氏は現在、毎日が楽しくて仕方がないようです。
毎朝5:30ぐらいに目がさめてしまうと言っています。
証券会社にいるときは、ストレスだらけだったのですが、今は仕事が楽しくて仕方がないとい言っています。
インディ・ジョーンズの最終話をやるとことが決まっていて、その作品に携わるのが直近の夢ということです。
楽しい人生を送っているようです。うらやましいですね。
毎日の積み重ねが重要
成田さんの経歴を見ていると、ブランクがあったのは2008年から2009年にかけてのたった1年です。
大して苦労していないように思えます。
ですが、証券会社に入ってから独学でCGの勉強はしていたのです。それが基礎となっているのは間違いないと思います。
基礎があって、はじめて高度なことができるようになるのです。
また、プラモ作りにのめり込んだことも後に大きなアドバンテージとなっています。
成田さんのCGの作り方は、コンピューターの中で部品を作って、プラモデルのようにそれらをコンピューターの中で組み合わせることで作品にしているからです。
成田さんがこつこつとやってきたことの集大成が今成田さんの作っているCG作品なのです。今の成田さんの作品は過去のこつこつした努力の積み重ねがあってのものなのです。
そのことを思うと、人生何も無駄なことはないのだな、と思います。
また、先ほども書きましたが、成田さんは「何をするにも遅すぎることはない」といっています。この言葉も自身の体験を踏まえてのものなので、重みを感じます。
まとめ
1963年生まれの成田昌隆さんです。
原島さんがスピルバーグの設立したドリームワークスという会社に入ったという連絡を受け、奮起したのです。
CGはリアルさを追求しただけではダメ。感銘や驚きなども必要ということに気が付いのです。
仁王像の迫力をCGで再現し、夢の扉を開くことに成功します。
最高峰の舞台で活躍できるようになりました。
今は仕事が楽しくて仕方がないと言っています。 |
参考資料
成田さんが手がけた映画作品
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々(2010年)
エルム街の悪夢(2010年)
魔法使いの弟子(2010年)
ザ・ライト -エクソシストの真実-(2011年)
パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉(2011年)
キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011年)
タイタンの逆襲(2012年)
アイアンマン3(2013年)
300 〈スリーハンドレッド〉 〜帝国の進撃〜(2014年)
トランスフォーマー/ロストエイジ(2014年)
イントゥ・ザ・ストーム(2014年)
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015年)
ターミネーター:新起動/ジェニシス(2015年)
アントマン(2015年)
スター・ウォーズ/フォースの覚醒(2015年)
ウォークラフト(2016年)
バーニング・オーシャン(2016年)
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(2016年)
トランスフォーマー/最後の騎士王(2017年)
スター・ウォーズ/最後のジェダイ(2017年)
ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー(2018年)
スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け(2019年)
以上ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E6%98%8C%E9%9A%86より