秋葉原の電気店が壊滅した理由とは?

秋葉原って電気街だったの?

昔の秋葉原は多くの電気店が集まる電気街でした。ところが既に秋葉原には電気街のイメージはありません。

なぜそのようになったか、理由を知りたい人もいるかと思います。

ここでは、その理由を簡単にお話ししていきます。

 

この記事を読むと、秋葉原電気街が衰退した理由がわかります。

 

秋葉原の電気店が壊滅した理由とは?

記事の内容 

  • 秋葉原電気街衰退の外部的要因(2つあります) 
  • 秋葉原電気街衰退の内部的要因(3つあります)


私は現在中小企業診断士として独立していますが、もともとは秋葉原に本店があった家電量販店に就職し、勤務していました。秋葉原内の店舗勤務と神奈川の郊外店舗での勤務経験があります。

それらの経験があるから、理由がわかります。

 

秋葉原電気街衰退の外部要因

 ①新興勢力の台頭

 ②規制の緩和

①新興勢力の台頭

1980年代に入ると、北関東から発生したYKKと言われる郊外型の家電量販店の勢力が強くなってきました。これらは、家電量販店の新興勢力といえます。

YKKとは Y – ヤマダ電機(群馬県高崎市)、 K – コジマ(栃木県宇都宮市)、 K – ケーズデンキ(茨城県水戸市)のことです。

神奈川のノジマなども新興勢力といえます。

特徴は、都心部でなく郊外に店を持ち、低層で広い駐車場を備えている点です。お客は自動車を利用して来店します。
それに比べて、秋葉原の店舗の多くは、土地面積の制限から、ほとんどが高層(と言っても6、7階ですが)で、駐車場も備えていない店がほとんどでした。

 

この頃は道路も整備され、郊外に住む人々の多くが自動車を所有していたので、郊外型の店舗は生活スタイルにあっていたのです。価格も秋葉原と遜色ない低価格を提供できるようになっていました。

関東地方に住んでいる方が家電を安く買いたいと思ったとき、それまでは秋葉原に行っていた人たちが、自動車で気軽にいける地元の郊外型店舗を選択するように変化していったのです。

 

②規制の緩和

アメリカの店舗が日本に出店できないのは、様々な非関税障壁があるためだということが問題になっていた時期でした。


それまでは、日本では中小の店舗を守るために、大型店が出店できないように規制をかけていました。これも非関税障壁とし、日米構造協議により1994年以降、1,000㎡未満の店舗の出店は調整不要となりました。

 

これは、外資の進出を容易にするだけでなく、国内の新興勢力の家電量販店にとっても追い風となりました。

それまでは、従来の家電量販店は郊外型店舗といっても、500㎡未満でしか出店できなかったのですが、この時期を境に、1000㎡未満での出店が可能となり、以降1000㎡程度の売り場面積の店舗が増えていきました

 

いっきょに2倍の面積での出店が可能となり、それとともにますます集客力も高まっていきました。

秋葉原電気街の集客力は相対的に弱くなっていったということです。

 

秋葉原電気街衰退の内部的要因

 ①のっぽビルの問題

 ②従業員の高齢化

 ③多額の借入金

①のっぽビルの問題

秋葉原の家電店の多くは高層型の店舗で、いわゆるのっぽビルです。1階あたりの面積を広くできないため、多層階にして、売り場面積を確保していたのです。

ですが、ワンフロア―の面積が広い郊外型店舗と比べて、致命的な欠点がありました。

それは、人員を多くしないと運営できないということです。 例えば、7階建ての売り場があったとします。

話を簡単にするために、極端な例を示します。

各階には最低でも3人の人員が必要です。土曜日日曜日はフル体制、平日は誰かが定休を取るため二人体制となります。食事休憩等で一人いなくなる時間帯を考えると、最低でも各階3人いないと運営できないのです。

7階建て売り場ですから、3人×7、21人ということになるのです。これだけの人員が必要となるのです。それだけ人件費がかかることを意味します。

 

郊外の低層型の店舗はどうでしょうか。21人必要でしょうか。その半分でも十分だと思います。

 

秋葉原ののっぽビルでの商売はこのような運営上不利となる問題を抱えていたのです。

 

②従業員の高齢化

1980年代になると、秋葉原の店舗の多くはベテラン従業員が大半を占めていました。

秋葉原電気街の店舗はもともと設立年代が古く1960年頃が多かったはずです。幹部である店長や専務もいい歳だった思います。ようするにベテラン社員と年とった幹部で構成されていました。

これに比べて、YKKと言われる郊外型の家電量販店は、勢いもありましたが従業員の平均年齢も若かったと思います。

 

何が問題なのかというと、これもコストに関わってくるからです。ベテラン社員は給料が高いのです。会社がベテラン社員と高齢の幹部で構成されるようになると、それだけ一人当たりの人件費も高くなるのです。

 

なおかつ①のっぽビルのところで書いたように、運営するのに多くの人数を要し、しかも多くが給料が高いベテラン社員なのです。

 

結果的に高コスト構造の商売になっていたのです。
これでは、新興勢力に勝てるわけはありません。

 

③多額の借入金

多額の借入金には理由があります。私の元いた家電量販店はバブル期に秋葉原内の店舗と郊外店を相当増やしました。

土地の価格が値上がりし続けていたため、土地を購入⇒土地が値上がり⇒値上がりした土地を担保にまた借入して新たに土地を購入、ということを繰り返していったのです。

借入金がどんどん膨れ上がっていったのです。でも売上も店舗の増加とともに大きくなっていきました。

 

土地が値上がりし続けているうちは良かったのですが、バブルの崩壊とともにこのやり方は通用しなくなりました。

土地の価格が下落し、担保割れしてくると、銀行の返済圧力が高まってきたと考えられます。

普通に返済できなくなると、店舗を売却するようになっていきます。お金を返すためにはそうするしかないのです。

でも店舗を減らすということは、その分だけ売上はなくなるということです。でもそれを繰り返すしか打つ手はないのです。

こうなってくると、あとは最後まで行きつくまでです。

 

結果的に私の元いた量販店は2000年に約400億円超の負債を抱えて東京地方裁判所に民事再生手続きを申請し、倒産となりました。

 

銀行から借金しまくって店舗を増やしていったのも失敗の原因です。

中小企業診断士の視点:秋葉原オノデンが生き残っている理由

2019年10月28日

まとめ

秋葉原電気街衰退の理由

  • 新興勢力の台頭
  • 規制の緩和
  • のっぽビルの問題
  • 従業員の高齢化
  • 多額の借入金

 

ABOUTこの記事をかいた人

中高年のフリーランスの中小企業診断士です。独立する前は家電量販店の店員をやってました。1970年代から1980年代の洋楽・ロック等をよく聴いています。