倒産する会社には予兆がある!
大企業でも倒産する時代。うちの会社は大丈夫かな。不安を感じている。
倒産する会社って予兆や前触れはないのかな。
そんな悩み・不安に答えます。
Contents
【悲劇か必然か?】経験者は語る、倒産する会社に起こった前触れ現象
記事の内容
- 絶頂期(2つあります)
- 不安期(2つあります)
- 確信期(2つあります)
- 現実期(2つあります)
以下は私が秋葉原に本店がある家電量販店に勤めていた時の話です。
元いた会社ですから、生き証人といえます。
絶頂期
①秋葉原の店舗が増えていく ②郊外店舗が増えていく |
①秋葉原の店舗が増えていく
1980年代後半になってくると、売上が大きくなってきます。
私がいた会社は当時から秋葉原内に確か7店舗ほどありましたが、この時期秋葉原内にどんどん店舗を増やしていきます。別会社として開店した店もありましたら、最盛期には15店舗ぐらいになっていたと思います。
私は、本体会社の本店にもいたことがありましたが、土日になると一人だけで一日に200万円を超える売上を上げたことも結構ありました。
店員は私だけではないので各階の店員数×1人の売上額×全階ということですから、合計すればかなりの売上になったと思います。
レジに1万円札が入りきらないこともよくありました。
②郊外店舗が増えていく
もともと系列の郊外店もあったのですが、この時期郊外店舗をどんどん増やしていきました。
私にもある日、神奈川県に郊外店舗をまた作るので、そこにいってくれという話しがきました。
店長と私2名は秋葉原の店舗からの異動で、あと2人現地で採用するとのことです。
この時期は関東に郊外店がどんどん増えていきます。
ただ、大店法の縛りがあり、この時期150坪(500平米未満)の店舗しか開店できなかったことが、あとあと響いてきます。
不安期
①コストの削減の指導が入る ②できて間もない店舗が閉店する |
①コストの削減の指導が入る
開店から間もないのですが、コストを削減するように本部から指導が入るようになりました。
テレビ売り場では、それまですべて電源を入れてテレビ放送を流していましたが、電源を入れるのは一部になりました。
また、それまでは、ほぼすべての照明をつけていましたが、もったいないということで、半分くらいの照明を消すことになりました。電気の節約のためです。
商品に関しても在庫も絞るようになっていったと思います。
②できて間もない店舗が閉店する
開店間もない(たぶん1年~2年程度)店が、売上不振ということで閉店になっていきます。
これは1店舗だけの話ではありません。
郊外店にいたので、詳しい事情を知ることはできませんでしたが、たぶん取引金融機関の意向だろうなと察しました。
そしてついに、私のいた店舗も閉店になることが決定します。(できて2年ぐらいしかたっていなかったはず)
そろそろ不安になってきます。
ただ、この頃の私は、ただの馬鹿だったので、漠然とした不安を感じていただけです。この先どうなるのだろう、という感じです。
閉店を見届け、結局私は横浜にある系列店舗に異動となります。
確信期
①注文した商品が入荷しない ②本部負担金が示される |
①注文した商品が入荷しない
この頃は、確か携帯電話が売れてきた時期だったと思います。この時にいた店舗は横浜にあり、売上もまあまあよかったと思います。
でも、あるときから不思議な現象が起きはじめます。
注文した商品が入荷しないことがよく起こるようになったのです。
メーカーのセールス担当に電話すると、品切れ中で来月には入荷する、というような話なのです。
同じ地域にコジマ電機があるのですが、そちらには商品があるのに変だなーなどと思った記憶があります。
でも、まあ量販店ごとに配分があるのだろうと納得していました。
今はその理由がわかります。メーカーの与信管理だったのです。私のいる店舗は危ないとメーカーはこの時期そう判断していたのです。
危ない会社には仕入額に枠を設け、おそらく枠内までの金額だったら納品、枠を超えたら納品しない、というように決めていたのです。
月末に支払があったら、その枠はまた0から、ということなのです。
事情を知らないのは店員だけなのです。メーカーセールスはわかっていたのですが、口外はしていなかったのだと思います。
また、この時期も郊外店舗閉店の話は入ってきます。
閉店した店の社員は秋葉原の店舗に吸収されているようです。
でも、人が余ってしまうだろう、などと思っていました。
②本部への負担金が示される
ある日、店長が名称は定かではありませんが、毎月の『本部への負担金』のようなものを社員に示しました。
もう、かなり昔の話なのでよく覚えていませんが、私はそれを「借入金の支払い利息」の当店割り振り分だと解釈しました。多分そうだったと思います。
金額がかなり大きかったのを覚えています。
店舗の売上額に応じて負担額を決めているはずです。私のいた店舗は横浜にあるとはいえ、それほど大きな売上の店ではありません。
私のいた店舗で『本部への負担金』がこれだけだとすると、全体でいくらになるのだろうと計算してみました。
かなりの額になるとわかりました。
これは支払利息のはずだから、利率はたぶんこれぐらいとして、などと計算すると借入金の総額は数百億円になりそうでした。
これはやばいな、と思いました。
1994年には実質1,000㎡未満の大型店の出店が原則自由になり、それまで頑張って残っていた500㎡未満の店は、後続の量販店にやられていくことになりました。
その後、私は肉体的にも精神的にも疲れて限界にきていたこともあり、会社を辞めることにしました。
会社が大変な時期にも関わらず、退職金も普通にいただけました。今思えば、良い会社だったと思います。
現実期
①秋葉原の店舗も次々閉店 ②民事再生法適用 |
①秋葉原の店舗も次々閉店
会社を辞めた後も、同僚とは連絡をとっていて、秋葉原の店舗にはよく遊びにいっていました。別に店の人たちが嫌いというわけではなかったからです。同期入社の同僚も残っていました。
でも郊外店だけでなく、秋葉原内の店舗も次々と閉店となっていきました。
この頃には、多分従業員には退職勧奨していたと思います。退職金も少なくなったとの話を聞いたような記憶があります。
そしてついに秋葉原電気店のシンボル的な店も閉店になります。
終わったな、と思いました。
②民事再生法適用
2000年には民事再生法適用により、事実上の倒産となりました。
負債額は400億円を超えるものでした。
以上です。
まとめ
【悲劇か必然か?】経験者は語る、倒産する会社に起こった前触れ現象
秋葉原の店舗が増え、郊外店も増加
コスト削減の指導が入る。できて間もない店舗が閉店する
注文した商品が入荷しない。本部負担金が示される
秋葉原の店舗も次々閉店。秋葉原電気店のシンボル的な店も閉店。 2000年には民事再生法適用により、事実上の倒産 |